大蔵流 狂言方 善竹忠亮、まいにちを「語る」
忠重十番「武悪」大蔵、和泉共演
今、東京から帰る新幹線の中です。
野村万作師の「万作の会」へ伺った帰りです。


忠重十番3rdシーズン「武悪」は、どうにか無事に終えることができました。
今シーズンは、和食が世界文化遺産の指定を受けた記念に「食」をテーマに十番の公演を行いました。

特別公演は、名古屋、和泉流、狂言共同社に「苞山伏」を
そして、重要無形文化財各個指定の野村万作師に、「武悪」の主をお勤めいただきました。


当年は、当家初代である彌五郎が、舞台名を本性の茂山から「善竹」と改めてから50年の節目の年に当たります。
(今、私が乗車している新幹線の開通と同じ年だそうです。)当年は善竹の家で色々なアニバーサリーが行われましたが、
今回の「武悪」も彌五郎が万作師の父上である六世・万蔵師と共演した足跡に倣ったものであります。(昨今でこそ、異流共演はさほど珍しいことではありませんが、当時はいろいろとむつかしいことがまだまだ厳然と残っていた時代のことです。)


主と武悪の板挟みになって身を削る太郎冠者は、当時は圭五郎大叔父が勤めましたが、今回は私が勤めました。御蔭でまた痩せました(←え?)


当然、流儀が違うのですから主張も詞も違います。
往時はほぼぶっつけ本番という信じられない荒技であったようですが、今回は予め台本の擦り合わせから行いました。
それでも、息の違いは実際に合わせてみないと分かりません。今回は当日も含めて三回のお稽古をお願いしました。

出てくるなり声を荒らげる善竹と違い、万作師はじんわりとした行き方ですが、その内に太刀に手がかかります。
(そういえば、去年も太刀で脅されてましたね、私)
しかし、最も違うのは武悪を討ったと言って太郎冠者が戻ってからの心持ちです。今回はこちらの「遊山に出う」に合わせて下さりました。しかし、道中、武悪と鉢合わせした時、隠そうとする太郎冠者の袖越しに伸び上がり、横移動するのは我が家にはありませんが、これはさせていただきました。

・・・・が。万作師のその動きの早い事!分かっていてもついていけません。
八十翁の万作師。アラサーの私。
長袴の万作師。半袴の私。

振り切られている場合ではありません。
これは今後の課題がひとつ増えました。



終演後の直会では、お隣に座らせていただいて色々とお話を伺いました。同卓の共同社の皆様も色々援護射撃(?)をして下さった御蔭で、大変参考になるお話を伺うことが出来ました。
そこでポツリと「今月は狐です」と。



後に調べれば、最後の釣狐とのこと。
父は武悪の翌々日に手術を受ける事に相成り【名代】という【名目】で、拝見、ご挨拶を兼ねて参上した次第。
(どっちがどっちを兼ねているのかは聞かないで下さい)
厚かましいとは思っても、やはり垣間見ることが出来て良かった・・・・・。





そして、稽古の合間に私の大学院における研究課題である、彌五郎のことについてもインタビューをさせていただきました。(後日またまとめます)









 
出張先の善竹忠亮 comments(2)
Comment








昨日は、能楽教室のご指導、ありがとうございました。

前日は、東京へいらしてたんですね。
西へ東へ、お疲れ様です。

短い時間でしたがあんなに近くで観せていただいて、実際、狂言がぐっと身近なものに思われてきました。

次に舞台を観に行くのが楽しみです。

万作さんは、体力に限界を感じ、釣狐を最後にされるとか。

忠亮さんのお話では、まだ限界ではないようですが、年齢を感じさせないように、いつも精一杯演じていらっしゃるんでしょうね。

それにしても、自分にとって特別な演目をおしまいにするのは、引退するより切ない気がします。

from. まゆ | 2014/11/21 22:50 |
まゆ 様

遠征に出ておりまして、お返事遅くなりました。申し訳ありません。

先日お出で下さったとのこと、ありがとうございました。

先日拝見した釣狐では、息が上がる終盤に差し掛かっても構エ(立ち姿)が崩れず、若年の私共の方が恥ずかしくなるような整い方でした。
from. 忠亮 | 2014/11/28 22:28 |
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